奈良平城宮って何
奈良平城京は奈良時代の首都ですね。そして平城宮が首都の中心部です。中央省庁(霞ヶ関)と皇居が平城宮に収められていました。今は巨大は原っぱになっていますが、ここが日本の中心だったのです。
この広大な原っぱに、かつて朝堂院とよばれる4つの堂が建っていました。もちろんここは平城宮の一部です。当時としては珍しい瓦葺の屋根で礎石もあったそうです。奈良時代にはここで今の国家公務員に当たる官人が集まって仕事をしていたのです。
平城宮は周囲を高さが約5mの築地塀で囲まれています。基本的には東西南北の4つの面に3つの門が設置されていました。合計12の門です。その中に、天皇の御所の内裏、儀式のときに天皇が出御する大極殿、そして朝堂院は行政事務を役人がやっていたところです。饗宴の場としても使われたそうです。厳密にはここまで綺麗に機能が分かれているわけではありませんが、大体の利用方法はこんな感じです。
平城京の略歴
元明天皇は和銅元年(708)に平城京遷都の詔を下します。そして和銅3年(710)に平城京に遷都されたのです。
平城京以前の都は藤原京でした。藤原京が宮の位置を京域の中央においていたのに対して、平城京では宮は北に位置します。そして平地が南に広がっています。この構造は唐の長安城に類似しています。大宝律令が整備され、名実ともに法治国家になった大和朝廷は、中国の唐をモデルに、日本の支配を整えていきます。
延暦3年(784)に長岡京に遷都するまで、平城京は古代日本の首都でした。ただ、天平十二年(740)から天平十七年(745)までの間、恭仁京に一時都を移していたことがあります。これは、九州で藤原広嗣が反乱を起こしたころ、突然聖武天皇が伊勢に旅立ちます。そして恭仁(京都府相楽郡)にとどまりそこを都にしてしまいます。そして紫香楽宮(滋賀県)や難波宮(大阪市)などを作ってうろうろしていました。ついには紫香楽宮(滋賀県)で大仏を作り始めるのです。結局大仏を作っている途中で平城宮に戻って大仏を作り直すのです。
平城京の規模
平城京は中央集権国家として、日本を支配するのにふさわしい規模の都でした。今、平城京の朱雀門の前に立つと、道幅約75mの道に堂々と建っている朱雀門が光り輝いて見えます。小さな掘っ立て小屋に住んでいた人々がどんなに驚いてその威容を見たことか想像できます。
平城京の京域は、東西約4.3km、南北約2kmです。道路が碁盤の目のように張り巡らされています。
平城京の中心はもちろん平城宮ですね。平城宮には一辺が約1kmの正方形になぜか東にちょっと張り出した庭園がくっ付いています。周囲を高い土塀で囲まれて12の門が設置されています。その中に政治と儀式の場として利用された大極殿や朝堂院や、天皇が日常の生活を送る内裏、さらに宴会を開く庭園がありました。
平城宮の大極殿の変化
案内板などを見ると、第一次大極殿、第二次大極殿と呼ばれた2つの区画があります。
740年に平城京が途中恭仁京(くにきょう)に遷都するまでの大極殿は第一次大極殿の場所にありました。そしてその第一次大極殿を恭仁京に移築しました。
その後再び745年に平城京に都が戻ったときに、新たに大極殿を第二次大極殿のところに建設したのです。
朝堂院も第一次と第二次がありますが、もともと二つの朝堂院の区画がありました。建物は建て替えられましたが、区画は変わっていません。
お休みどころ
途中疲れたら遺構展示館のところに売店が1箇所あります。また道路沿いにも小さなお店が1軒あります。
(売店です)
でもおすすめは、・・・・近くにあるイトーヨーカ堂で一休みして見て回るのが良いのではないでしょうか。レストランもあります。朱雀門や東院庭園からちょっと歩きますが・・・。
また、朱雀門のはるか西の果てにはかんぽの宿があります。お風呂だけ入るのもありです。時間は限られますが。
かんぽの宿の利用時間と料金は以下のようになっています。
日帰り休憩のご案内は以下のとおりです。
●入浴の利用
日帰り入浴料金
510円(12歳以上) ただし、土曜・日曜・祝日などの混雑時には600円
360円(6歳以上12歳未満)
入浴利用時間
<平日>
10時30分?16時(入浴受付は15時30分まで)、
18時?20時(入浴受付は19時30分まで)
<土曜・日曜・祝日、12月31日?1月3日>
10時30分?16時(入浴受付は15時30分まで)
●個室休憩利用
料金
<3時間未満> 6畳 3,465円、8畳 4,620円、10畳 5,775円、16畳 9,240円
<3時間以上> 6畳 3,780円、8畳 5,040円、10畳 6,300円、16畳 10,080円
個室利用時間:11時?14時
以上の情報は、かんぽの宿の公式ページからの引用した情報です。